2015年4月22日水曜日

【後記】私が伝えたかった2つのことー 1. 佃節子さんインタビュー写真



 前回の撮影で私が伝えたいことは2つ、それを1枚に込めました。1つ目は、様々な分野でアクティブに活動をされている、その原動力となる魅力を多くの人に伝えることです。そして二つ目は、写真が苦手とおっしゃっている節子さんに、彼女の今の魅力を伝えることです。


インタビューで節子さんから伝わったのは、溢れる想いでした。それが、お花も、歌も、俳句や、折り紙も我が事として向き合い、そして噛み砕き、味わい、再び人と分かち合うところまで、とことんやってしまう原動力になっているようでした。


節子さんいわく、「本当に感動しないと、いい俳句ができない。」だから実際にさまざまな場所へ行って、感動を見つけ、体験したことを糧に創作活動に打ち込まれているのだそうです。


一方で、写真も同じことが言えます。今はデジカメでもスマホでも手軽に写真を撮ることができ、それをすぐに人々と共有することもできます。でも、本当にいい写真は、感動しないと撮れないと私は思っています。写真は撮影方法によって色んな印象を作ることができるので、お会いしたばかりの人だと、どう表現すればいいかは未知数です。その人に耳を澄ませ、本当の声はどこあるかを探し、そうしているうちにその人にどんどん惹かれていき、そして初めていい1枚ができます。私が感じた心を揺さぶられるくらいの魅力を、本人に伝えたいと思って撮影します。


今回節子さんのお話を伺って、私が特に心を打たれたのは、病院で過ごした時の節子さんです。


病床についた時も、ただ回復を待ち祈るような日々を過ごしているのではなく、その場所で楽しめることを見つけ、それを俳句にしようとする、彼女の想いに感銘をうけました。
どんな場所、どんな状況でも楽しいことを探そうと努める姿勢が、いくつになっても彼女を若々しく奮い立たせているのではないかと思いました。当時のことを、身体を揺らし、身振り手振りで、活き活きと想いの丈を伝える節子さんの様子を見ていると、こちらも胸が温かくなってくるようでした。


そんな節子さんの目を通して見た、今ここにはないものまで、私にも感じさせてくれるような溢れる想いを、込められたらと撮影しました。


そして私が一番緊張して、同時に楽しみなことは、私が感じた節子さんの写真を、ご本人にご覧いただく瞬間です。


節子さんはご自身の写真を見て、「うれしそう」で「幸せそう」、それから、ご自身のことを「自然体」ともおっしゃっていました。私はこのことが本当に嬉しかったです。何事にもポジティブに取り組まれる節子さんですが、一方で写真に関して尋ねると写真写りを「不自然」に感じたり、「写るのが苦手」、とおっしゃっていました。そんな節子さんが、ご自身の写真から感じる気持ちは、容姿云々に関することでなく、まさに私が撮影時に節子さんから感じて、表現したいことだったからです。「節子さんと通じ合えた!」と込み上げてくるものがありました。



写真はただ姿形を証明し、残すだけのものではないのです。また、容姿について相対的に人と比べるものでもありません。私は写真というものが、「気持ちや感情を思い起こさせてくれる」、そして「撮られた時には気づかなかったことに気づき、これからに作用する、言葉よりも説得力のある手段」だと考えています。


  出来上がった記事と写真をお渡しした日、節子さんを囲んで全員で撮った集合写真





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2015年4月12日日曜日

1. 佃節子さん「色を大切にし続ける、という味」




「色の組み合わせを変えるだけで、見た目が全く変わるでしょう。どこの場面でどんな色を使おうかなと考えるんです、どんな時でも」



佃 節子さん5


豊かな笑顔で語るのは佃節子さん、御年97歳。奇しくもインタビューに訪れた日がちょうどお誕生日であった。現在、神奈川県横浜市の閑静な住宅街に暮らす。
お迎えしてくださった彼女は、とても100歳を間近に控えたようには見えないほど背筋はピンとし、ワインレッドのカーディガンが知性を漂わせている。「今 日は私のためにありがとうございます」と深々とお辞儀を頂戴し、むしろお願いしたのはこちらの側であるのに、とその腰の低さに圧倒され、そしてそのまま彼 女のあたたかな世界へ飲み込まれてしまった。肌のツヤは内側から湧き出でる熱量の証と言わんばかりに、弾ける表情はとても印象的である。その後も途切れる ことなくころころ変わる様相は、会話するものをいつまでも飽きさせない。彼女の歓待の流儀なのかもしれない。

節子さんは、文筆家を親族に持つ芸事達者な一家に生まれる。女学校時代に華道と茶道に出会い、ものを通じて自身を表現することにのめりこんでいった。
「活けていくとどんどん変化があって、いろんな形を作れるところがいいですね」
同じ種類の花を使っても、活ける人によって全く違った姿形をなす華道の楽しさをこう語る。花の色の配置によってできあがる画が変わる。色をアレンジできる華道は、今でも大好きだそう。
色彩は彼女の大切な表現ツールになっている。

女学校卒業後、日経新聞社に勤める正弘さんとご結婚。戦後の混乱の中、お二人で力を合わせながら家庭を築いていった。
「本当に厳しい人だったんですよ、私が話をしていると『結論から言いなさい!』と怒られたりして。主人が仕事から帰ってきたときに、私が家にいないと怒ら れたりもしましたね。うっかり電気をつけっぱなしにしてしまっていると、日本のためにならん!と指摘されたり、もう大変だったんですよ」
節子さんが78歳のときにご主人は亡くなられたのだが、生前を思い出しながらどんどんな柔和な表情になってくる。口を突いて出る言葉は少し厳しくとも、その仲の良さは容易に想像できる。

節子さんは続ける。

「私の青春は、主人が亡くなった後に始まったんです」
  

佃 節子さん1


意外な言葉だ。
当時にしては節子さんの結婚時期は遅めで、7人兄弟の長女であったが、妹たちが先にお嫁に行ってしまった。自分のやりたいことをやってのびのび暮らしていたのだが、ご結婚を機にそうもいかなくなってしまったようだ。
78歳で再び自分の時間ができたときに、節子さんはやりたいことを次々始めることとなる。

「まずは俳句に再びのめりこみました。きっかけは結婚してすぐの時に主人に誘われて、『お前は俳句をやりなさい』と」
ご主人はやらなかったんですか?
「やらなかったですね。『僕がやったらお前に悪いから。お前よりもすぐに上達してしまうから』って。『お前が機嫌を損ねるだろう』って言うんですよ。でも、私がいないところで『家内の俳句はなかなか良い』と言っていたみたいですね」
ご主人の優しさが垣間見える。
時間ができてから、俳句の師匠に付いてさらに学びを深め、大会に出場するまでになった。
「句会では1,000ほどの句が集められて、その中から優秀句が5つ選ばれるんですよ。その中に入った時は嬉しかったですね。大きなホールで表彰式を行う のですが、私はホールのずっと後ろの方に座っていて。名前が呼ばれて舞台に向かって歩いて行く最中、客席の人がみんな大きな拍手を寄せて、おめでとう!と 声をかけてくれるんですよ。あれは本当に嬉しかったです」
厳しい師匠のもとで諦めずに研鑽を積み、成し得た技である。その後、個人の句集も出版。師匠がとても喜んで250冊を引き受け、知り合いに配り回ったそうだ。それを読んだ方から連絡があり、後日新聞にコラムを掲載することにもなる。


佃 節子さん2


俳句を作るためにわざわざ旅に出ることもあるそう。
「本当に感動しないといい作品はできないですからね」
一方で見慣れた窓から見えるいつもの情景にも、些細な変化を見出し、そこに感情を乗せることを丁寧に行っている。
「ああ葉に色がついたなぁ、少し散ってきたなぁ、今日はよく鳥が止まりにくるなぁ、と小さな変化も俳句を作るのに大切なんです」
なぜここまで俳句に情熱を注いでいるのか。
「俳句は季語があるでしょう。春には春の夏には夏の。その言葉を入れるとパッと色がつくんですよ」
外の色を内に取り込み、自身の色として醸成したもの五・七・五に重ね合わせている。季語は直接的な色ではないが、色を想起させる単語を使うことで自己を表現できる。これが、色を愛する節子さんの情熱の元なのであろう。

また彼女は80歳から日本舞踊を始めた。
「80歳でもできるでしょうか、と先生に尋ねたら、どうぞと言われたので、よしやってみよう、と思いまして」
その時先生は63歳。大きな挑戦だ。
8年後、節子さん88歳の時に大きな舞台で演じることとなる。
「プロの踊り子さんばっかりだったんですよ、まわりが。なのでプロの方々が私の準備を手伝ってくれたんです。メイクもかつらもプロの方、着付けは男の人3人がかりでしたね」と嬉しそうに写真を見せてくださる。バッチリ決まった一枚だ。


佃 節子さん3


踊りを続ける中で一番気を使っていたことは、お着物だそう。
「踊りによってどの着物にしようか考えるんです。こんな振り付けの時は緑、こんな踊りの時は紫。帯の色も帯締めの色も、組み合わせるのが楽しいですね。雰囲気がガラッと変わるでしょう?」
色調も踊りの中の大切な要素。そう話す節子さんは、普段の装いも洗練されている。お洋服の組み合わせやメイクにもこだわりが伺えるのだ。
「このお洋服の色にはこれが合うかしら、この組み合わせが素敵かしら、と考えるのが楽しいんです。この色には絶対これを合わせよう、とか毎度洋服箱をひっくり返していますね。小さいときから紙で作ったおかっぱの人形で、着せ替え遊びするのが好きだったんですよ」

さらに、新しく始めたこととして「折り紙」がある。これも色の足し引きをすることで、同じ形のものでも違う風合いが出ることが興味を持つ理由だそう。本を見ながら独学で技術を磨き、数多くの作品を生み出している。
「配色を考えるのが好きなんですよ。黒の折り紙も余らせないようにね」と複雑に折り込まれた鞠を手に取りながら話す。1つの鞠を作るのに12枚もの折り紙を使う。等間隔で廻る複数の色のコントラストが可愛らしい。


佃 節子さん4


少し体調を崩して入院していた時も、病室で折り紙を折っていたのだが、あまりの出来栄えに看護師さんが気に入って職場に飾りたい!と持って行ったほど。
「せっかくいただいた命だから、私も何かに貢献しなくちゃと思って。折り紙をたくさん折って、通っているグループホームに差し上げています。テーブルの上にあるだけで、会話がはじまるきっかけになるんですよ」
節子さんが命を吹き込んだ作品は、人が繋がりやすい空間をつくりだしてしまう。

次々と新しいことに取り組むその熱源について伺ってみた。
「続けることですね、やっぱり。大変だなと思っても嫌だなと思っても、続けること」

節子さんは、続けることでやる気を起こし、やる気が起きることで続けることができる。外に理由を求めるのではなく、自分の中でぐるぐると育てることができるのだ。
「ほら、私ってしつこいんですよ。だから続けられちゃうんです、しつこい性格だから」
とお茶目に笑う。
こんな表現をして謙遜しているが、「しつこさ」だけでは到底ここまで楽しめない。

「色の組み合わせを変えるだけで、見た目が全く変わるでしょう。どこの場面でどんな色を使おうかなと考えるんです、どんな時でも」

内から溢れる思いを色に託し、目に見える形で周囲に伝えることができる。人はそれを見て「あぁ、いいな」という気持ちをふわっと湧かせることができる。
彼女の手先が紡ぐひと味は、自分のための趣味快楽にとどまらず、色を使って広く他者も包みこむ共楽の時なのだろう。






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「ひと味」とは

「ひと味」とは

無数の人間活動からなるこの世の中には、メディアで取り上げられない「素敵な人」「すごい人」がたくさん隠れています。

町内会で有名な、商店街で人気者の、ちょっと自慢したくなる身内等々、身近なところにいる方々の「素敵なところ」「すごいところ」を取材。

その人の人生の、ほんの「ひと味」に触れることができれば、という想いでお話を聞かせていただきます。

人の人生十人十色。

全く違うように見えて、見知らぬ遠い人の経験が、もしかしたら何かのヒントになるかもしれない。
そのひとの味が、別の誰かにとって意味を成すことがあるかもしれない。

日本一でなくとも、超有名でなくとも、華々しい栄誉に包まれていなくとも、人はちゃんと美しい。

放っておくと見過ごしてしまいそうな、でも価値のある、小さな「甘美」をそっと掘り起こす活動です。





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